| 富士2008 (下り偏) |
| 2008年8月、前年に引き続き寝台特急九州の旅に。 というのも、2007年に乗った後の晩秋に、銀河廃止報道とともにリリースされた、富士はやぶさも2009年3月廃止の方向で検討されているという報道。これは、かなりの確率で、2008年夏は最後の夏になってしまうことを意味していることになります。 かつてのブルートレインブーム世代の親としては、こどもにも、自宅の沿線を走る東京と九州を結ぶ寝台特急の栄光という記憶を定着してもらいたい。近所を走るこの列車こそ、かつては、全国の夜行列車の頂点に立ち、こどもたちから羨望の眼差しをむけられていた存在であったことを理解しそんな列車に乗ったんだという思い出をもっていてもらいたい、という大義名分のもと決して自分が乗りたいだけではないということにして(^^;)、2年連続寝台特急の旅を敢行しました。 今回は、キップのとりやすさ(と予算の関係から)父子2人の旅となりました。 往路は、前年の経験よりコストパフォーマンスに優れるソロ狙い。お盆の混む時期にしか休めそうにないため、一月前の早朝5時前に最寄り駅に並びに行きました。しかし既に7番目。廃止ほのめかし報道のあとのお盆時期のソロは、この順だときついかなと思って指定時間に結果を聞きに駅にいくと、やはり取れていませんでした。実は、始めは家族でと考え複数室の予約をいれたのも敗因とも考えられました。翌日、作戦変更し、1室に、そしてはやぶさより取れる確率が高そうな富士を第一希望にしました。万全を期して翌日1番目を目指し4時半前に最寄り駅へ。するとなんと既に、リタイアしたエリート風の紳士がひとり。並ぶ場所が違っていたので、ここは礼儀として正規の場所を伝え雑談をしてみると、海外から帰ってくる娘さんの家族のため、新大阪からの新幹線を3席必ずとらなくてはいけないので、朝一で予約を入れにきたとのこと。新幹線…絶対取れる保証をするから1番目と代わってくださいと申し出たい気持ちを抑え、きっと娘さんやお孫さんの顔を見るのが楽しみなんだろうなと、雑談を続けて予約受付が始まる5時を待ちました。予約票には、父子2人での利用の便利さから下の部屋奇数番号室希望の旨を記し2番目だと10時開戦全国マルス入力争奪戦には勝ち残れないだろうなあと駅を後にしました。 半ば諦め気分で受け取り時間に駅にいくと、なんとソロしかも希望の奇数室がとれていました。17号室、奇数の最後の一枚だったのかもしれません。お盆の真っ只中、18枚しかない富士のソロが2番目の受付でよくとれたなと思います。ひょっとしたら取れやすさを考慮して1番目の新幹線より優先してくれたのかも、とも思いましたが真実はわかりません。 さてキップを手にしてから一ヶ月、いよいよ乗車当日です。前年と同様、乗ったらなかなか見られない牽引機をその日の上りで抑えに行きました。当日はEF6643号機。続く編成の前から3両目が本日乗車のソロです。 ![]() さていつものように始発からの乗車のため、東京へ。10番線には既に、ブルーの編成が入線していました。ただし乗車は、発車18分程前の17:45頃からということでドアはまだ閉まっていました。 1976年、初めて寝台特急に乗った時の富士も在来線のもっとも新幹線ホーム寄り、但し番線は3つ多い13番線、入線時刻は17:40、発車は18:00ちょうど。10番線で17:45から乗車でき18:03に発車する2008年この日の富士に極めて近い状況でした。 ![]() やがて、時間になり折戸が開いたので、早速一夜を過ごすことになる個室に向かいます。荷物を荷棚に収め、千キロ以上の走破を前にした長距離列車の始発駅での佇まいを楽しみます。この日の目的地は、富士の終着駅、大分です。歴史的にも東京からの最長距離列車は、日豊本線経由の西鹿児島行きであったことを思うと、新幹線博多開業30年以上経った今、まだその8割方を走る在来線客車列車が残っていることは凄いことです。 やがて、夏休みで列車を見に来たこども(や大人)に見送られながら東京を発車。いよいよ旅の始まりです。 この日は、東京を出てすぐ、横浜の出発を待たずに、停車駅と到着時刻の案内がありました。淡々と続きやがて千キロ以上離れた地名が告げられていきます。車窓にはかつての東京機関区。、ただし入れ換え用のDLの姿だけ。これから出発する寝台特急牽引機群の姿も波動輸送用のゴハチ群の姿もないのは当然としても、そればかりか、あのロクイチの姿もない、がらんとした構内は客レの終焉をひしひしと感じさせました。 やがて横浜停車。上り線には231系が入って、そしてでて行きました。上り線ホーム先端には、列車撮影者の姿が見えましたが被られずに撮れたでしょうか。横浜を過ぎると東戸塚までが、日常の中を行く非日常性をもっとも感じることができる区間です。しかも、今回は、沿線に家族で見送りに行くというメールが入りました。保土ヶ谷を過ぎて、「ここはこの前散歩した道」、「ここは写真を撮ったところ」、「ここは公園の橋」とこどもと確認しながら、近所の風景を通り過ぎ、トンネルに入るとその出口が約束の場所です。ソロの廊下から一生懸命手を振るこどもに、手を振り返している家族の姿がはっきり見えました。明るい時間に出て地元を通る寝台特急ならではの見送りでした。その後入ったメールによると、一生懸命列車に手を振る娘たちに、運転士さんも手を振ってくれ、しかも軽くホイッスルも鳴らしてくれたそうです。残念ながら、8号車の富士のソロまではそのホイッスルの音は届きませんでしたが。 さて無事、家族の見送りを受けたので、夕飯です。東京駅で買った弁当ですが、列車で食べれば味も格別です。外は日が暮れかかってきました。夏も終わりに近づいてます。 ![]() やはり夕暮れが経験できる夜行列車は、良いですね。夕焼け雲が示すように翌日の関東は、晴れの予報でしたが、予報によるとこれから向かう西日本は、残念な雨・曇りの予報。朝の光る海が、期待できないのがちょっとがっかりな気持ちでした。 前年も撮りましたが、お約束で部屋の様子を。B寝台1人個室としては、広い部類のようですが、本当にお買い得感が高いです。定員18名の個室寝台が、定員32名の開放寝台と同額、定員14名のA寝台個室の半額以下の寝台料金なのですから破格値といえるでしょう。 ![]() ![]() ![]() 熱海を出発するとJR東海の管轄です。 ここで、先ほどまでのJR東日本の運転士さんが上手かったことに、きづきました^^;。 …と言うことは、良いとして、丹那トンネルをくぐると程なく沼津。そして列車名と同じ富士。 ![]() 熱海、沼津、富士とちょっと急行っぽい頻度は唯一の九州行き特急となってしまったから仕方ないですね。踊り子も新幹線も止まる三島を止まらないのは、寝台特急の意地でしょうか。 富士を過ぎると、静岡までは間が開きます。弁当の夕飯を食べたり、列車内を一通り回ったり、旅行バッグに詰めてきたイソップ物語を読んでみたり、と個室寝台の旅を満喫したこどもは静岡到着を確認すると、眠くなってきたようで「金谷でおこして」と言って早々に眠りにつきました。 次は、浜松です。東名と150号そして新幹線が並ぶ日本坂トンネル付近はクルマで2日前に通ったばかりの場所です。東海道線のトンネル名は石部トンネルですが。 金谷に近づいてきたので、起きるわけないと思いつつ、こどもをおこしてみましたが、案の定…^^;。大井川鉄道のホームを右手にみながら、金谷通過。こどもは眠ったまま-_-;。駅を通過し、トンネルに入るとおやすみ放送です。停車駅と到着時刻のおさらいと、寝台列車の注意事項、これをもって明朝、柳井到着10分前まで、放送による案内は休止との夜行列車特有の放送にはいつもながら旅情を感じます。 放送終了といってもまだ9時過ぎ。眠っているこどもの端に座り夜の車窓を眺めていると、浜松着。豊橋に着くと、東急7200の出迎えを受け、何が起こったのかと動揺しましたが、豊橋鉄道なんですね。クリームに赤帯の電車で自分の中では、時代が止まってます。ここで345Mから飯田橋の始発に乗りかえて、ごとごと田切までいったのは、四半世紀も前になってしまいました。 窓の外が都会の夜景になってきたと思ったら名古屋です。廊下にでて大きな窓から対向ホームを見ると、終電を心配しなくても良いうちに、と考えている人たちでしょうか、通勤客で混雑していました。ちょうどそういう時間帯だったのでしょう。お盆の真っ只中とはいえ、平日の夜です。名古屋のホームをゆっくり離れるとき、そんな勤め帰りの中のほろ酔い加減のオジサンが一生懸命、こちらの列車に向かって手を振っています。こんな時間帯、乗ってる子供達もおやすみタイムでしょうからほとんど相手にする乗客もいないと思い、可哀想なので、廊下側の窓から手を降り返してあげました^^;それに気づいたオジサンは満面の笑みで更に大きく手を振ってくる…良い歳こいた者同士何やってるんだか^^; 岐阜駅の電光掲示には「この列車は寝台列車です」という表示。なんか嬉しい表示ですね。良く見ると2分ほど遅延しているのがわかります^^; ![]() 347Mの終点を過ぎると、反対の線路が見えなくなり、旧新垂井駅経由の迂回線に入っていることがわかります。駅跡地はちょっとよくわからなかった…。 再び本線の複線が近づいてくると、関ヶ原通過。ゴハチの写真を撮りに遠征しに来たことがあります。EF61牽引の荷レも走ってましたね。 個室の窓から暗い外を眺めていると、8ヶ月前の2007年暮、最後の銀河乗車をしたとき、オロネの喫煙席に座って、米原着を待っていたときに眺めた景色であることを思い出しました。銀河の米原着は、真冬だとまだ真っ暗でしたから…。 そうこうしているうちに米原到着。運転停車です。ここでJRも西日本に。東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・岐阜県と少なくとも各都県ひとつ以上の駅に停車してきた上、この先、京都府、大阪府もまた止まるのに、滋賀県だけ正式な停車駅がありません。京都、大阪も運転停車扱いではないのだから米原でもドアを開ければよいのに…。 ![]() 200なんとか系を米原で見て西日本管轄に入ってきたことを確認して、一旦カーテンを閉めて横になりました。京都はホントに気づきませんでした。なんか止まっているなぁと思って起きてみると大阪。撮影者の方が^^;。 ![]() 深夜大阪停車を確認したら、カーテンを再び閉め先に寝入ったこどもを避けるように横になりました。70cm幅の寝台は、小学一年のこどもとぎりぎり添い寝ができる限界ですが、横にになれるだけ座席で座って眠るよりはるかに楽です。 兵庫、岡山は夢のなか。 気付くと停車しているようです。時計を見ると5時半、定時なら広島を既に出て岩国に向かっている時間帯です。咄嗟に何か障害があって広島で足止めを食っているんだと判断。個室側カーテンを開けると、なんと隣にはムーンライト九州が。上りか下りを判断するため、座席の向きを確認すると、今乗ってる富士の進行方向を向いている…つまり下りです。下り?富士ぶさの3時間前に関西を出てきた列車がまだ止まっているということは、ただ事ではないと判断できます。 ![]() 廊下に出て回りを確認するとやはり広島。ちょっとホームに降りて、駅の案内に耳を傾けると、どうも横川宮島口間、大雨のため運転を見合わせているとのこと。確かに、前日確認し、がっかりした予報通り、西日本は雨が降り続いて時折、雷鳴もありました。ただ、すでに豪雨という降り方ではなく雨の峠は越えているのではないかと期待させる降り方でした。 とりあえず運転再開の目処は立たないとのことなので、ホームに出てテールと機関車の記念撮影。 ![]() ![]() 機関車はホームぎりぎりでまともな撮影は無理でした。反対ホームに行けば、切り欠きホームから、いかにも広島らしい写真や、並ぶはずのないムーンライト九州を絡めた写真等撮れたかもしれませんが、流石にこどもをいつ発車するかわからない列車に残し反対ホームに行く勇気はありませんでした。 やがて、5:55頃ムーンライト九州がとりあえず次の横川まで進むということで広島を後にしていきました。 ![]() そして6:05、後を追うように富士ぶさもとりあえず横川までの運転ということで発車。 広島を出て太田川の河口を臨むと空に明るい兆しがみられ天候回復を期待しましたが、横川ではまた強めの雨。 ![]() 横川で再びムーンライト九州に追い付き、同じく抑止に。ドアの開かない横川で軟禁状態より、ホームに出られる広島のほうが良かったんですが… ![]() 結局、横川に一時間弱止まり、漸く運転再開のアナウンス。そう広島を出た時点で6時を過ぎていたので朝の放送が始まっていました ここで、乗っている列車が寝台特急であるということを意識させることが起こりました。先に到着し、4時間以上は足止めを食っていたと思われるムーンライト九州に先行し、なんと富士ぶさが先の発車となり、7:00に発車しました。 ![]() 本来夜中通過のムーンライト九州の停車駅より、ここからしばらくは、富士ぶさの停車駅のほうが多いにも関わらず。このときばかりは、特急の威厳を感じ、ちょっと感動しました。ムーンライト相手なら、まだまだ九州特急のオーラは効きます。 横川を出ても、不通区間だった宮島口までは、そろそろと徐行。南側を付かず離れず走る広電の姿を見ると遠くまで来たことを感じます。広島のこの区間では、山陽線で行くことを汽車で行く、広電の場合、電車で行くと呼ぶ年配の方がまだいるという話を聞いたことがありますが今はどうでしょうか。 そうこうしているうちに、宮島口を通過し速度も増し、本来の速さになってきました。 放送による案内によると、徳山から販売員が乗ってきて始める予定だった車内販売は列車遅れのため取り止めとのこと。朝食は、前日東京駅で買ってあったので問題は無かったのですが、朝の個室寝台で熱いコーヒーを楽しめないのは残念でした。 およそ2時間遅れで岩国到着。気付くと、空は晴れて来て、夏らしくなってきました。今回ばかりは、光る海は諦めないといけないかと思っていただけに、この天候回復は嬉しかったですね。夏の朝、この区間を走る寝台特急に乗るのは今回が、最後になったでしょうから。 ![]() ![]() ![]() 前年も撮った、かつて国鉄連絡船が通っていた場所に懸けられた橋もなんとか撮影できました。前年より2時間ほど遅い時間帯を走っているので、朝の光る海の雰囲気は弱くなっていましたが、夏らしい光になってました。 ![]() ![]() やがて下松。たまに地元で夕方撮る甲種の出発地です。遠路はるばる来ていることを実感。 ![]() 岩国をでてから柳井、徳山、徳山とちょうど2時間ぐらいの遅れで運転。 下関近くになると、前年とは事情が変わっているので、人でいっぱいになるだろう、と、EF6643の力走をはやぶさのスハネフから押さえに行きました。 ![]() ![]() 防府を過ぎると瀬戸内海ともお別れです。繰り返しになりますが前日から天候が懸念されてい上に雨で抑止までかかってしまっていたただけに、急な天候回復で綺麗な海を寝台特急の車窓から思う存分楽しめたことは、この列車乗車の最後であろう夏の良い思い出になりました。 ![]() ![]() 小郡といったほうがしっくりくる新山口では、マイテやSL、急行色のキハなどタイムスリップしてました。 下関到着前に再びはやぶさのスハネフに。すると親子連れを中心に、そうでない大人(^^;)も含め、デッキを溢れ、廊下まで列ができていました。 廊下に並ぶのも邪魔なので、2輌目のオロネのデッキに移りそこで下関到着を待ちました。 下関着と同時にホームをゆっくり先頭のEF66に急ぎ(?)ます。 列車が遅れていることもあり、手際よく切り離されましたが、一晩牽いてきてくれた機関車の顔をなんとか撮ることができました。 ![]() 続いて、関門間だけお世話になるEF81がこれまた手際よく連結されます。 ![]() EF81の連結を確認して、個室に戻りトンネル通過は個室内で。いよいよ一年ぶりの九州上陸です。 門司到着後、富士のソロから再び編成先頭部へと行きましたが、門司で、EF81が切り離されるまでは、若干時間があるので、EF81切り離しを眺めることができました。 ![]() そしていよいよ、九州を感じさせてくれるED76の登場です。熊本に行ったら帰りは、再び上りはやぶさを牽いて来る以外用事はないので、両側はやぶさHM付きです。かつてのEF65P出雲みたいですね。 ![]() 一年前とはだいぶ状況も異なってきているようで、凄い盛況でした。まだこの程度なら、"盛況"という目で見られる程度で異常な雰囲気ではなかったので良かった^^; ![]() 「富士」乗車の家族連れを中心としたギャラリーに見送られ、「富士」より一足先に門司を発車し、熊本に向かう「はやぶさ」との別れのシーンです。 ![]() 残った富士に、赤い電気機関車が連結されるシーンも注目の的。 ![]() ![]() 「富士」のヘッドマークも誇らしげに…ってこれは本来テールマーク^^;? 丸い富士と二つあってどちらが来るかお楽しみって感じだったら楽しかったでしょうね。 ![]() 一旦、見えなくなった海が、中津の手前あたりで再び見え始めます。 ![]() ![]() 一万円札縁の中津到着。この時点で、2時間15分ほどの遅れ。既に正午を回っていました。 ![]() ここで、ソニックに先を譲ります。「かもめ」車の「白いソニック」です。表定速度100km/h超えの振り子特急ですから、先を譲るのも致し方なしですね。 ![]() 身軽になった編成なので、機関車側に行くのも、最後尾に行くのも気軽です^^;こういうアングルでED76を撮れるのも… ![]() 中津を過ぎると、国東半島の付け根を横断するかたちになるので、海と別れ、山間の風景になります。日豊本線は、海あり山ありで景色に富んでいて良いですね。ここまで東京から直通列車で来ることができるというのは貴重なことだと思います。昨夕東京のビル群を映した同じ車窓からこんな景色が見られるなんて…。 ![]() 山間の駅、中山香という駅で運転停車。ドアは開きませんでしたが、ホームに降りたくなるような、のんびりとした雰囲気の駅でした。 ![]() 止まった理由は二度目の特急退避。臨時のソニック83号に抜かれます。臨時特急に抜かれる定期寝台特急。歴然とした速さの差、仕方ないです…。2本の特急に抜かれ、早朝、ムーンライトに優先し横川を発車したときに見られた「寝台特急」の威厳はすっかりかすんでしまいました^^; ![]() 臨時ソニックに道を譲り、中山香を出ると、全行程中唯一の純粋な単線区間(東海道線の旧新垂井駅経由迂回線は、複線の本線あっての迂回線なので)、杵築−日出間に入ります。大分行きに短縮された「富士」がまだ行程に単線区間を含んでいるということは、あまり意識されていないでしょうね。それだけに「遠くに来た」という感じもします。 単線区間を過ぎ、再び複線にもどるkろには、国東半島の付け根も抜け再び、海。綺麗な別府湾です。 ![]() ![]() 夏の太陽に燦燦と照らされた綺麗な別府湾を寝台特急の窓から眺められたのもこれが最初で最後になるのでしょうか…。 遠くに「さんふらわあ」(で良いのかな?)が見えます。 ![]() ![]() ![]() 天候が回復してくれて本当に良かったです。綺麗な夏の昼下がりの別府湾を堪能しているうちに別府も過ぎ、いよいよ終着の大分です。 到着は、13:57。日豊線に入ってから特急退避もあって遅れが拡大し、結局2時間40分遅れになりました。東京を出て、19時間54分、ほぼ20時間の旅となりました。 普通なら、「こんなに遅れ散々な目に遭った」というところでしょうが、こと先を急ぐわけではないこんな旅にとっては寝台列車に乗っていられる時間が長くなった分得をした感じすら受けました。これが数時間の遅延だと疲労感が上をいくのでしょうが、先の予定も、がちがちに組んでない下りの3時間以下の遅れだったので、旅を堪能するのに十分な時間を稼げたというお得感が勝ってました。 ![]() 到着した大分は、二十数年前に一度通ったことはあるものの降りたことはない駅でした。降りた雰囲気は、すごく良く、いかにも地方都市の中心駅といった感じで、高架になっていないところが非常に良い印象でした。 東京発の寝台特急が、十数時間かけて、東京を発車した翌日着く終着駅としてはイメージ通りの駅。ただ残念なことにこの列車も風前の灯火であると同時に、この駅も高架化の計画があるようですね。 東京から、こんな雰囲気の良い駅を終着として毎日列車が走っていたこもあっという間に過去の1ページになってしまいそうです。 ![]() |